上南戦 |
館主の母校では、毎年 名古屋の南山大学と 交流試合を行っています。
今年は東京で主催される予定でしたが、東日本大震災の関係で 昨年に引き続き「名古屋の南山大学」で行われました。
上南戦とは
上南戦は、カトリック大学として同じ教育理念を有する館主の母校と南山大学が、毎年6月上旬の3日間、体育会の団体を中心として対抗試合を行い、両校の交流を深めるスポーツ対抗戦です。
1960年より、1年ごとに互いの大学を会場として開催されてきたこの大会は、今年で第52回を迎えました。
館主は、体育会弓道部に4年間 所属していました。
【ここから館主の自慢です。失礼いたします】
全日本弓道連盟4段、本多流中伝、全関東百射会準優勝【個人戦】(100射90中、準優勝は館主の母校歴代一位)、全日本個人戦11位(尺二的5連中続いて8寸的2連中、6位から12位決定戦、遠的の結果個人11位、記録残らず、残念!)
館主が 大学3年生の秋、リーグ戦優勝 そしてリーグ昇格 後 主将に就任、
その後、前期試合は上南戦を除き全試合連続負け、後期試合は 優勝した東京理科大のみに初戦で負け、他連勝で リーグ戦準優勝。
上南戦の応援の歓声が、昔の頭の中の記憶を 弓道部の記憶を たたき出してくる。
上南戦を見学していて、学生時代 朝から晩まで 毎日毎日 弓ばかり引いていた自分を思いだした。
館主が3年生の時、リーグ戦優勝、そしてリーグ昇格、その後 4年生の先輩9名が卒業した後、受け継いだ「体育会弓道部」。
先輩方が出ていった後 先発の選手8名は選べるが、控えの選手が足りない。【試合は 4名が1チームとなり2チーム「一の立」「二の立」が、弓をそれぞれ引く、控えの選手が4名登録でき、合計12名で試合をする。試合途中で、選手交代が出来る】
我々は、合計11名の選手で1年間を乗り切った。
「何とか 強いチームにしたい」
しかし、最初の試合は 「一の立」4人が4射全て外して16射0中から始まった11人のチーム【試合中、思わず4人を殴ってしまった】
前期の練習試合では、負けに負け、・・・負け、続けた。
【試合の方法:選手8名が、4本の矢を持って 5回弓を引く、一人が合計20本引いて8人で160本 その160本の内 何本 的に当てることが出来るかで 勝敗を決める】
館主心「なんと、弱いチーム (*_*) 」
(それも そのはず 今まで試合に出たことのある選手は 11名中 館主一人だったのだ)
矢数を減らし、一射を充実させる施策を、・・・
合宿をしたり、グループ練習を取り入れたり、リーグ戦想定試合をしたり、とにかく毎日弓を引かせたり・・・。 同級生3名と「つかみ合いの口論」をして、
同級生からは「おまえみたいなクラブの考え方の者ばかりでは、ないぞ! 俺たちは 大学生活を楽しむために クラブをしているんだ!」
同級生は 館主のことを「怒りの皆中」と、呼んでいた。
【皆中:矢全てを当てること】
全関東百射会準優勝(個人戦)は 「なぜ 俺たちは 勝てないのか!」 その悔しさ、むづがゆさ、の 現れでもあった。
一年間、館主についてきてくれた10名の射手たちよ! 私の青春と共にあった・・・
昔も、今も、思っているよ! 「ありがとう」
矢に、心を込めて・・・ 会で ねらい込む。 その時 的はグングン大きくなる。
「ダメだ! これは!」 上南戦の観戦 立ちっぱなしで、足がつってきた!
【先輩! 椅子を どうぞ! と言う部員も いない。】
こうなっては、
早く 冷たい ビールが飲みたい! つめた~~いビール。 今日は暑すぎる!」
「しかも、今年はぼろ負け! ばかやろ~~ とも言えず。 弓手をきるな! とも 言えず」 (82対105 完敗だ!)
こうなったら、、早く 打ち上げコンパに行こ!
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